2011年06月22日

サイゴノテガミ


これが俺のASIAN2での最後のコラムになる。

人生で最初に組んだバンドだったにも関わらず尊敬できるメンバーに恵まれ、たくさんの素晴らしい仲間、スタッフとの出会いがあり、大きな愛に溢れた素晴らしい時間を情熱的なファンと10数年もの長い間共有出来た事を、とてもとても誇りに思う。

嬉しい思い出はこれからの制作の自信になって、辛い思い出も次の創造の糧になってくれる事を心から確信してる。

この10数年、いくつかの楽曲と何度かのライブを発表・披露してきたけれど、その度に与えられているのはこっちの方だった。ありがとう。
みんながいたから続ける事が出来て、みんながいたから出来上がった楽曲をどうか末永く愛して欲しい。

でわでわまたね。


大きな愛を込めて

20



  


Posted by asian2 at 05:15

2011年06月06日

ラストライブ

ライブに来てくれた皆さん、本当にありがとうございました。
最後のステージを、愛する地元松本で、大勢の皆さんに温かく見送られて締めくくれた事を幸せに思います。

ASIAN2ラストライブ

動員数438人
負傷者0人

aCの過去最大の動員記録でもあるようですが、この二つの数字の表すところは、何より皆さん一人一人の周囲への思いやりの証明であり、そんな皆さんに集まってもらえたという事がおれ達が最も誇るべきところだと思っています。

イベント経費を抜いた収益金の全額19万700円を、告知通り東日本大震災の義援金として日本赤十字社に振り込ませていただきました。
微力ですが被災された方々への支援になればと思います。

集まった義援金については現在、各都道県に設置された義援金配分委員会の依頼に応じて日本赤十字社から送金され、各市町村を通じて被災された方々へ第一次配分が実施されています。

日本赤十字社のホームページに詳細が記載されておりますのでご確認ください。


尚、ASIAN2のオフィシャルサイトは6月いっぱいまで運営していただけるようです。avexのサイトの方は現在まだ運営していただいているようですが、今後の運営期間はこちらでは把握していません。



またASIAN2のメンバーをどこかで見かけたときは声をかけてみてください。そして1杯おごってみてください。
12年間、本当にありがとうございました。皆さんの明るい未来を心から祈っています。



-SHOJI-
  


Posted by asian2 at 17:38

2011年04月27日

4月17日 第四便

石巻では二度目の炊き出しだ。
今回もヨークベニマル大街道店の駐車場をお借りした。

メンバーはリョウワ、げんよう、だいちゃん、そしてニューカマー、まさしとア
ン、俺を加えた6人だ。

仙台で一人ピックアップする予定。

前回、うどんとカレーを出したんだが、大根、ジャガイモの火の通りが悪く、待
たせてしまったので却下。

石巻のブラザー達に「何食いたいっ」て聞いたら 「カレーや豚汁は見飽きたん
ですよねー」だって。

出会って二回目にして図々しい、嫌いじゃないが。

とにかく肉 肉 肉。
らしいので、肉だらけの牛丼に決定。

すぐにだいちゃんに肉を手配して貰う、松本の肉屋をぎゅうじる男に(嘘)

野菜も松本青果物流通センターさんや、マルショウさんなどに沢山頂いた。

調理も広いキッチンをお借りする事ができ、今回そんな縁で協力して下さる事に
なった池本ねーさんが主婦仲間に声をかけてくれたので、仕込みは順調そうだ。

この場を借りてありがとうございました。

物資の方もみなそれぞれ声をかけてくれたので、いい感じに集まった。
よく仕事は段取り八割、何とかが二割と言うが、出発前に何十人とゆう人が協力
してくれる、物資を託してくれる人も入れたら何百人かもしれない。

同行する連中も一人一人責任感が高まって行く。

あっ一人忘れていた、げんようのおやじさんも連れてったんだ。

名前はアキラ。

アキラは今でも現役の役者だ。
芸術家としてのバイブスやスピリットは俺達と変わらない。
「芸術こそ真実だ」ってアキラの言葉を俺は胸に刻んでるんすけど、本人ありゃ
忘れてたな。

とにかく気持ちの問題だ。

リョウワにげんよう、だいちゃん 本当によくやってくれる。

16日 仕込み 出発。

アンを助手席に乗せ、いつものよう先頭を走った、爆音でロックを流すも、登り
は40キロしかでないスーパートラックで。

毎度福島で熱いコーヒーを飲む。

朝方4時、いつもより早く着きそうなので長めの休憩。

日もすっかり昇った7時頃だったかな?仙台で里美と合流。
里美はA2のライブに仙台から妹と毎回来てくれていた今でも大切なファンだ。
彼女も今回の地震で、津波の影響はなかったものの、大分怖い思いをした一人。
ありがとう里美。

里美を乗せ三陸道を石巻方面へ。

インターを下りると、二週間前より少しきれいになっていた町並みが待っていた。

こんな事が嬉しい。

ヨークベニマルへ到着すると、馬鹿兄弟(よしのり、ひろ)の親父さん、お袋さ
んまで、俺達を迎えてくれた。

親父さんはオープニングから目に涙を溜め「来てくれてありがとう ありがと
う」と俺ら一人一人の手を握った。
暖かい東北なまりに貰い泣きそうになる。

さあシャキッとして炊き出しの準備だ。

風が吹いたり、ホコリは舞うわで、パニクりながら皆、試行錯誤しながゲリラ的
に環境を整える。

「牛丼など11~16時頃」

みたいな看板を国道沿いに向けると、あっと言う間に人が集まった。
牛丼の他に 中華スープ、ゆで卵、フルーツポンチ、漬物などを用意。

押し寄せる行列にあたふたしたが、よしのりの兄夫婦(あいつ三人兄弟か)、お
いちゃんも駆け付けてくれ、15~16人がかりでなんとか回り始めた。

肉80キロ以上入った料理長(さつき寿司)の味付けはスキヤを超え、皆の舌をう
ならせた。

アンも手際よくご飯をふるまった。
肉食うのは一月以上ぶりと言う人がほとんどで喜んでくれた人の顔が忘れられない。

前回も来てくれたおばちゃんやおっちゃんにも会えた。

昼、夜と7時間近く予定していた約1000食は、ものの2時間で完売した。

ブルーシートを広げて物資を配る。

人が殺到しているため、その場をげんようが仕切り、並んでもらいうまく配分した。

炭水化物ばかりの食事の為、ビタミン、タンパク質がかなり不足している様子。
果物や生野菜は中でも貴重だ。

一段落すると、小学校の生徒さんがおこずかいを出し合い買ってくれた文房具
を、大街道小学校に届けた。

出る前に約束したしね。
先生泣いて喜んでたよ。
生徒達も自分の好きなキャラクターにテンション上がってたな。

その足でよしのりの父ちゃんに運転を任せ、アンと里美を乗せ石巻の海が見渡せ
る高台の日和公園へ向かった。

途中民間の庭に所狭しと土葬されたのか、看板が立つ。
思わず手を合わせた。

公園から海を見渡した、父ちゃんは自分の職場だった病院を始めて上から見下ろ
すとただ、

「何にも無くなっちまったんだなー」

と、何度も何度も繰り返してたなぁ。

夕方4時頃だったかな?
ヨークベニマルに戻り、日がある内に帰る事にした。
家族が見送ってくれる、今度は母ちゃんに涙。
誰がほっとけるのか。

帰りは馬鹿なやじ馬で渋滞するも、朝方4時には無事松本に到着した。

今東京のスタジオで若いバンドのプロデュースをしながらこのブログを書いてる。

余震はあるが同じ国とは思えないほどにぎやかだ。

我等が長野松本の企業さん達もようやく指示してくれるようになった。

政治家は相変わらず役にたたんが
またGW明けに出る予定なので、皆さん協力お願いします。

どうかこの灯を絶やさぬように。

tatsu  


Posted by asian2 at 14:20

2011年04月14日

第四便出ます

tatsuです

16日の土曜の夜、第四便を予定してます

今回も石巻近辺での炊き出しが濃厚です

皆さん、物資、支援金など協力お願いします。

お菓子 カップメン おむつに下着などが中でも喜ばれます

どーぞよろしくっす
、お願いします

<物資送付先>
長野県松本市大字島内4195-1
スポーツクラブラフ
TEL:0263-48-0223

tatsu宛て  


Posted by asian2 at 10:21

2011年04月14日

4月3日 第三便

今回は地元の仲間のリョウワ、げんよう、大ちゃん、麻衣子、あーちゃん
俺を含む6人で石巻に炊き出しに行った。

前回と同じく矢部さんを頼りに、石巻のヨークベニマル大街道店の前で炊き出しをする事ができた。

この日から3日ほど前にやべっち(矢部さん)と連絡が取れ、宮城の状況を聞くと、物資は勿
論だが炊き出しが嬉しいと言われ、すぐ段取りを始めた。

前回のブログでも紹介した仲間のリョウワと麻衣子は、居酒屋を経営してるもん
だからこういう時に心強い。

やべっちに300食くらい と言われたが、俺たちはそんなタマじゃない
1200食用意した。

言い忘れたけど、今日からフランクに書くぞ!
誤字脱字は突破する。

まず昔からの仲間に死ぬほど野菜をもらう。
とにかくここぞとばかりに集まった、友達の美女や、手際の良い主婦の皆さん、
何故かトレーニング中のボディービルダー含む約10人。

2日(土)の午後から4~5時間ぶっ続けで、包丁を握ってもらった。

料理長のリョウワとの審議の上、昼に炊き込みご飯のおにぎりとうどん、夜は皆
ハッピーカレーに決定、肉は大ちゃんが知り合いから譲ってもらい、とにかく美
味そうな予感がした。

寸胴3発に巨大鍋2発、ガス周りも四賀村にある知り合いのスーパーからお借り
し、慣れないながら、何となく形になってくる。
本当に心よく協力してくれた方々には感謝している。

米なんかも山形村在住の後輩の元バンドマン、ミスターじんが100キロ以上出し
てくれて、それを俺が通っているジムや、リョウワの実家の厨房、徳運寺ってお
寺などで、無理やり炊いた。

A2のファンだった ゆーじ って変わったヤツも買い出しやらなんやらいつも助け
てくれる、バカで熱いヤツだ。

3日(日)になり、集まった物資の仕分け:燃料、水、皿だの箸だので、忙しく
なってくる。

おにぎりを握りにバレリーナのともみがやって来た。
しかもオシャレをして。笑

テレビ松本で働く幸子、幸子の妹夫婦、またボディービルダーの小野さん
そして俺、とにかく握る。

冗談っぽく書いているけど、ここに登場する彼ら、彼女らは、「できる事な
い?」って電話くれたり、自ら手伝ってくれるような心ある人たちだ。
皆笑っているが、ラジオからニュースが流れると、耳を傾け、心配する、心ある
人たちだ。

仕事を終えたげんようと麻衣子、あーちゃんが合流、21時を回る

げんように荷積みを任せ、着替えとシャワーを浴びに家に帰る。
いつも出発時にはスタミナは切れている。
リョウワに関しちゃ仕込みや自分の仕事なんかで、一日半くらい寝てねぇな。

皆から預かった物資、食材、燃料なんかを入る限り詰め込み、24時前に松本イン
ターに入った。

いつも自分のバイクや車なんかをいじってくれてるヨシタダさんに整備しても
らったトラックと、マイカー二台で、宮城に向かった。
これで4度目の出発。

本当はいつも不安がある。

原発どうたら、地震、車の故障、今回も皆初めて行く奴らばかり、しかも女性を
連れている、あんな量の炊き出しの経験もない。
まぁすぐどうでもよくなるが。。

必ず思うのは、昔ツアーで行った時のように、楽しい気分で北へ行ける日はいつ
来るのだろう...

それを考えちまうよ

石巻に着いたのは朝9時頃だったかな。
疲れているのに、その光景に眠気を奪われ、誰も寝もしない。
ただそこにあったはずの町並みを眺めている。

ヨークベニマルに到着すると、荷物を下ろし、さっそく鍋に火を付ける。

そうじ屋がスーパーの泥をまだかき出している始末。
でも今日は10時から15時の間は営業するらしい。
そう それが大事。

11時ともなれば、ポツラ、ポツラと人が集まって来た。

出来上がったうどんと、おにぎりを配る、皆少し笑顔になった。

うどんが間に合わなくなると、長い列ができていた、本当に皆さん静かに並んで
いる、信じられないくらいに。

でも思うんだけどさぁ
あんまり被災者、被災者って言うのも、向こうの人から言わたらどうなんだろうな?

「おっちゃんタバコいるー?とか家あんの?」なんて話かけたら、まぁ普通の世
間話が始まるわなぁ

お互い心の中じゃ色々感じてるけど、やっぱり普通に話しかけりゃ そりゃ普通
に話し返すわな。

「長野から来た」っつったら「長野って九州か?」なんて寝言言ってみたり。
おばちゃんにおばちゃんって言ったら怒られたり。

なんかそうしてるうちに、こっちの皆も緊張が解け始めて、すごく自然な場所に
なったよ。

げんようのギャグもそこそこ冴えてたし(笑)、大ちゃんの声のトーンも上がって
来た感じ。

かなり忙しく4つの鍋を回し、気が付けば14時を過ぎていた。

夕飯の準備をする前に、トラックにかさばった物資を八百屋方式で配給した。
お菓子、缶詰めなどすぐ口にできる物はあっちゅーまになくなった。

とにかく一階が浸水している家が多いため、キッチンが機能しないらしい。

二回から出入りしているおばちゃんにストーブを運ぶ。

かたや取り合いにならないように諭す。
果物など30ケース以上を含む物資は瞬く間になくなった。
そのリアルな現実に大ちゃんは言葉を失っていた。

そう言えばいわき平競輪場?だったっけ
物資置き場になってんだけど、動画見た?
マジで引くぐらいの数の物資が配らないまま放置されている。

この辺じゃ一日にパン二つしか支給されない所があったりなのに、お国様の命令
がないと、自衛隊でも何でも動けないんだもんね。

話は変わるけど、放射線対策だかなんだか知らんけど、なんか奴ら800万くらい
かけて、調子のいいジャケット作って着てるらしいな。

全然興味ねーから、よく分かんねーけど、金のかかったギャグだな。

トップのおじさんは被災地訪問を、地震が来たからキャンセルだって。
そこに住んでる人どうすんだ?

民主も自民もどーでもいいが、今政治には全く興味がない。
勿論選挙は行かない。

ヤバいまた長文になる。
とにかく1日いるだけで、考える事、伝えたい事が多過ぎる。

石巻で仲間が出来た。

物資を配っているとちょろちょろ手伝う一見田舎不良の若者達、名前はひろ よ
しのり 二人は兄弟で、よしのりが兄だ。

そしてまだ若く見えるが、二人のおじ、俺たちはおっちゃんと呼んでいた。

とにかく兄弟は人なつこく、よく手伝う。

俺たちとすぐ打ち解けた、俺以外のメンバーは初めて踏む大地。
ひろに被災地を案内させ、一人ひたすらカレー鍋をかき混ぜた。

被災地を歩いた彼らは絶望的な景色にあっけに取られた事だろう。

でも皆、いい意味でスッキリした顔をして帰って来た。
そう、俺も最初に思ったんだけど、あの光景をまのあたりにすると、何かが吹っ
切れて、前を向くしかなくなるんだよね。

俺達は炊き出ししか出来ないけど、それでもリョウワはデカい声で「頑張ってき
ましょうねっ」て声かけたり、麻衣子やあーちゃんは、子供やお年寄りに、さら
にやさしい言葉でケアする。

終始目に涙を溜めていたげんようも、いつもの熱さを取り戻し笑いを生む。

ひろ達も黙々と手伝った。
具だくさんで、松本の思いが詰まったカレー。

いくら食べ飽きたっつっても、さすがはカレー、みんな喜んだ。

自分達は口にしないのがボランティアの基本らしいが、我々には関係ないので、
食いながら、時にはくわえタバコで配った。まあ普通だね。

物資を届けていた時は、被災者と話す事が少なかったが、今回は一人一人に声を
かけられるので、3 11のエピソードが時には俺達の胸を締め付けた。

鍋を持ってきたママに、「何人前?」って聞いたら、「子供が一人見つからな
い」って泣き崩れた。

炊き出しを聞きつけ、道無き道を、リュックサックをしょい
一時間かけて歩いてくるお父さん。

のんきに「野菜がかたい」ってクレームつけるおばちゃん。
まあそれはそれでなんかホッとするな。

俺達はたまたまおしゃべりな奴らの集まりだったので、とにかく話したなぁ

中には震災の事を話してスッキリしてる人もいた。

よく考えればそうだよな そりゃ聞いて欲しいよ。
ストレスを減らすには他の風が入る事が大事だもんな。

夜もふけ、辺りが暗くなると同時に、一気に人気がなくなる。

まだ治安が悪いから、
とよしのりが言う。

それでも一人、また一人と来てくれてるので、二台の車を斜にして、テーブルを
照らし続けた。
海沿いの天気は雨が降ったり、雪が舞ったりと、とにかく寒く、皆の体力も限界だ。

また一つ思う

何故かここで一緒に過ごした仲間とは、信頼関係、絆 みたいなモノができている。

これが自分の近くの人から、日本中に広がったら、日本も変わんだろうな、
って書きながら思った。

少し余ったうどんをカレーにぶち込み、カレーうどんを作る。

まだ8時、人気はすっかり無い。
よしのり達に近くの避難所に案内してもらう事にした。

トラックに乗り込み後を付ける。
リョウワと麻衣子に片付けをまかし、割れた道を走った。

変わり果てた商店街みたいな所を進む、まだアスファルトは海水に浸かった状態。

止まった信号をふと見上げると、書いてあるのは 石巻駅前。
あの人口15万人の町の中心とはとても思えない。

さらに道は激しく割れ、着いた所は港町 ほたる とゆう所の葬儀場 光は一切な
く、目の前は墓がひっそりとたたずむ。

高校生くらいの若者が出迎えてくれて、げんようとあーちゃんと鍋を持ち、中に
入る。
大ちゃんはトラックの見張りだ。

東北に何回か来たが、一番衝撃を受けた場所だった。

ここは数日前まで遺体安置場だった。

一階は泥の上に畳やダンボールを並べて道が作ってある。
ろうそく2、3本のわずかな明かり、仮設トイレが二つ、足元が悪いため、兄ちゃ
んの照らすライトを頼りにゆっくり進む。

言い方は悪いが、下手なお化け屋敷よりも怖い。
三途の川 とゆう文字が頭に浮かんだ。

階段を上がれば、人の声がする、ろうそくのわずかな光の中に、10人くらいの人
が生活していた。

うつむくおっちゃん達。
ひたすら明るく振る舞うねえさん。

うまく言葉に出来ない。
最後に賞味期間の切れたドーナツを頂いた。

気持ちだと思う。


夜も深いので、急いで帰る。
トラックに乗り込み窓を開け、兄ちゃんに「ずっと笑ってろよ」 そう声をかけ
ると脳裏に焼き付くほどの笑顔をくれた。

憎いくらい星が綺麗な夜だった。

港町 ほたる 名前だけで素敵な町だったのが想像できる。

荷物を片付け、彼らと写真を撮り、名残を惜しむ。

帰りたくない、彼らも帰ろうとしない。

涙を見せた事の無いよしのりが泣いている。
ひろは笑顔を絶やさない。
何よりおっちゃんは 俺達より働いた。

また来る事を約束し車に乗った。

忙しい中挨拶に来てくれたやべっちにお礼を言って、
22時、石巻インター

松本へ


彼らもやっぱり身内ちを無くしていた。

地震当日、よしのりは首の高さまでの波の中スクーターで走り、流れてくる人を
掴んだり、炎に包まれた保育園に飛び込んだり、書けないほど壮絶な体験をして
いる。
おっちゃんも勿論。

だから彼らは、あんな笑顔が出来たんだろう。

本当の人の強さを感じた。

次の日の電話、
A2の人だとゆー事に気がつき、カントリーロードを聞いて、兄が泣いてる
ってひろが言う。

歌があって良かった。

そんなに話さなかったが、今一番大切な何かを分かち合ったような気がした。

そして何より一緒に行った仲間達は愛の戦士だったね。

いつも協力してくれてる皆の力は、町のハジまで、心の奥まで届いてるぜ。

なんかかなり染みた日だった。

tatsu










  


Posted by asian2 at 00:53

2011年04月13日

3月26日 第二便

なかなか忙しく、ブログが更新できなくてすいません。

3月26日、昔のマネージャーの剛らと、塩釜、石巻に、果物、野菜などを中心とした物資を運んだ。
俺達が「東北のボス」って勝手に呼んでいる 矢部さん という人を頼りに。

その日の事をさっと書こう。

現地に到着し、本塩釜駅前で矢部さんを待つ。
10分ほどして現れた矢部さんと、熱いハグ、これが初対面。
そして、矢部さんは、俺らに深々頭をさげ、丁寧に挨拶する。
筋が一本通った、男気溢れる人だ。
その日も、朝から町の復興に命を注いでいた。
塩釜に紙類などを降ろし、残りの物資を矢部さんに先導してもらい、石巻に向かう。

石巻に着いた頃には、もう日が落ちていた。
軍手をはめ、一斉に荷物を下ろした。
驚くほどの物資の数に長野の皆を誇りに思う。

最後に俺の友達が持たせてくれた信州味噌を使い、早速味噌汁を作って振る舞ってくれた。
剛らと手を洗いに、蛇口をひねると、ちょろちょろとしか出ない。
細過ぎる水を大事に指先を濡らした。
倉庫には5~6人いたかな?

とにかく楽しく喋り始め、温かい味噌汁と笑いで、冷え切った室内が、一時なごんだ。

矢部さんが真面目に語り始めると、剛らは溢れんばかりの涙をこらえていた。

二週間以上も前の事なので、詳しくは書かないが、これだけは書いてくれ っつうのを書きたい。

震災が起きて間もなく、ワイドショーが取材に来たらしい、その中のディレクターだかスタッフが、被災者に向け言う
「これ撮ったら結構数字取れますかね?」
こう返したそうだ
「俺らも一応被災者なんだけど...」
奴らは目も合わせず「あ、そうなんですか、ごめんなさい」と言ったらしい

その話をしている時の矢部さんや、そこにいたおじさん達の顔は、眉間にしわを寄せ、込み上げる怒りをただこらえていた。

俺も音楽業界にいて、そんなクズ野郎は死ぬほど見てきたが、とにかく殴りたくなる。
今のテレビを作ってんのはそんな奴らだ。

「また遊びに来るね」と言うと、「今度は野沢菜頼むねー」
そんな会話を後に、トラックのアクセルを踏む。

矢部さんの後を付け帰り出す、少し走り出すと、前を走る彼から、電話がくる。
途切れ途切れの声で
「たっちゃん、ここ一番人死んだ所だから目に焼き付けといて、左は住宅地で右は飲食店なんかが並んでた所だ」

もちろん町らしい光は無い、暗くなった海沿いに目を細め、ゆっくりゆっくり走った。
車内は長い間無言になり、瓦礫とグチャグチャになった車だけがループするだけ。

伝えたい事は山ほどある。

嬉しかった事は一緒に来た仲間が、現場を見て、感じ、泣き、分かち合い、それを伝えようとしている姿だった。

こうやってまた小さな力が集まればいい。

メディアは肝心な事や、エグい事は放送しない。
無能な政治家に託すのではなく、自分達で越えて行こうとまた思う。

そして後方支援してくれる皆さん、いつも感謝してます。
たまに挟んである手紙に勇気付けられます。

皆の熱い思いは、愛や笑顔を生んでいますよ。

tatsu








  


Posted by asian2 at 18:37

2011年03月26日

帰り道

皆さんから受け取った物資、無事 塩釜と石巻に届けました!

今、疲れてヘトヘトなので、詳しくは後日このブログで報告します。

引き続き、スポーツクラブラフにて、物資の受け取りをする事にしたので、無料のない範囲で協力お願いします。

<スポーツクラブラフ>
長野県松本市大字島内4195-1

TEL:0263-48-0223

tatsu宛て

ここの事務の兄さん、いつもテンパってて何言ってるか分からないけど、頑張って(笑)

今どこだ?

まだ福島か

tatsu
  


Posted by asian2 at 22:50

2011年03月26日

目的地は塩釜

いま小諸ら辺走ってます。

みんなのおかげで約3トンの物資が集まりました。

ありがとう。

後日また報告します!

とにかくスピードが出ない、、

tatsu
  


Posted by asian2 at 09:59

2011年03月24日

物資が必要です

26日に第2便を出す予定です。

物資が集まれば第3便も予定しています。

支援物資受け付け場所を、追加します。

物資受付先: スポーツクラブラフ 
         松本市大字島内4195ー1

         連絡先:0263 48 0223

第2便に乗せるものは3/25(金)中まで受け付けます。

募集する支援物資は下記のものです。


カップ麺
缶詰め
インスタントみそ汁
レトルト食品
お菓子
等、保存のきく食糧

飲料水
粉ミルク
紙おむつ
生理用品
包帯、脱脂綿、消毒液等の医療品
サランラップ
アルミホイル
電池(単一、単二、単三)

皆さん力を貸して下さい。

よろしくお願いします。

tatsu


SAYも同じく動いています。
こちらもご協力ください。

詳しくはSAYブログへ
http://ameblo.jp/say-loves  


Posted by asian2 at 04:54

2011年03月22日

現実を感じる

東北地方太平洋沖地震が起きてから、何日経ったのか?

長野でも余震が続き、テレビではまるでCG処理されたかのような映像が飛び交う毎日に、時間も恐怖感もマヒしていく。

幸いにも松本は何度も地震警告はあったものの被害は受けなかったが、わずか数100キロ離れた場所の出来事が、とても他人ごととは思えなかった。

東北にも友達がいる、地震から2日経った夜にメールが届いた。
「なんとか生きてる、今避難所にいる」って話せたのは、それから数日後、
声は震えていた

俺の音楽やってる昔からの仲間は、残念ながら命を落とした。
メディアでは放射線の情報を、頭ごなしに乱発する。
バカな俺は振り回され、あたふたした。
無力さと、無傷という傷に胸が痛む。
時間が経つごとに。

17日だったか、深夜2時に残っていたSAYからの着信履歴、明け方気づきコールバックすると、東北を目指すと言う。
俺も何かあったら動けるようにと、燃料は確保しておいたので、二つ返事でOKした。

すぐに頼れる仲間や、バンドの先輩方にサポートしてもらい、なんとかその日のうちに、行ける最低限のものは段取れた。
A2でも世話になっていたナガブロにも、物資支援をしてもらい、SAYと二人、19日の夜には松本を出発できた。
物資を託してくれた皆、ボランティアに協力してくれた 猛士(団体名)の皆、お前ら、マジで熱い!

2日間徹夜した後の宮城までの道のり、積み過ぎたトラックは激しく風に揺れた。
届けたい気持ちが先走り、気にもしなくなった。
というか俺たち自身行動が遅すぎる、結局行かない理由を探し、何日も引き伸ばした。
後悔した。

周りでもゴチャゴチャうるせー奴らもいた、大丈夫?とか、一般車両は入れないよー とか、本当に届くの とか。
うるさい、心配はいいが、荷物の一つも上げてくれっつう感じだった。

関係無いが、俺は歌を歌って来て、いつも何か始める時は、バッシングを受け、孤独感に襲われる、おそらくSAYもそうだったと思う。
A2は解散するが、その培ったスタンスを、音楽以外でも発揮すると俺は考えている。
っつーか、もう周りじゃ個人で輸送してる奴らいっぱいいるし、通行証や受け取り先が明確であれば、少なくとも進入できる事を確信していた。

なんか書いてたら、長くなりそうだし、言葉も乱暴になってきた。
話も右往左往するが、このまま書く。

福島に入ると、原発の事もあり、なんとなく緊張した。
一応、気にはしていないが、エアコンを切る。足元から、寒さが襲って来る。
外はまだ雪が残り、一般で輸送してそうな車両は、4~5台だけ。
抜かして行くタンクローリーを見ると、燃料を運んでいるのか、安心する。
頼りないAMから流れる音楽にかぶって、地震警告が鳴る。
ただならぬ雰囲気だ。
そうしてる間に、夜明けが来た。
宮城に近づくと、道路の破損が増えだした。

宮城に入り、SAYの友達の ユーキたちと合流する。
若く、地元思いの熱い奴らだ。

最初に目に映ったのは、スタンドに並ぶ、車の列だった。
中には人はほとんどいず、入るか入らないか分からないガソリンを待っている。

コンビニや飲食店はほとんど営業していなかったが、建物の崩壊が目につかず、ホッとする。

彼らの後をつけ、走る事20~30分、物資が足りていないエリアをいくつかピックアップしてた内の一つの、亘理郡にたどり着く。
駅で休憩をとると、タクシーのおっちゃん達が話し掛けて来て、世間話が始まった。
震災の事を聞けずにためらっていると、「どっから来た」とか、「物資届けに来た? そりゃ助かるなぁ」みたいに、明るく長く話しは弾む。俺も冗談の一つも返す、また安心する。 別れ際に言った一言の「海沿いには、半端な気持ちで行かん方がいいよ」 その言葉に、震災地の近くにいるという実感が、初めて湧いた。
SAYらとの会話も徐々に減り、身が引き締まる。

まずは、亘理郡の山元町役場を目指す、そこでは炊き出しが行われており、約100キロの米を下ろした。

大切に使って下さい

一言と、短いメモを残し、次は亘理郡役場へ行く。
役場の目の前には、小学校、中学校があり、そこに配給される物資だとすぐ分かった。
役場の職員さん達が待つ物資置き場に、ダンプを横付けると、「出来る事なら全部欲しい」と言われた。
ナガブロでも書いたが、同じ亘理郡の役場同士で、

物資の配給が上手くいっていない

という感じに思えた、そもそも小学校らには、300人近くの被災者がいるため、そこに回してくれ って事だったのかもしれないが。
ただ役場の職員さんが話していた確かな事は、隣町、あるいは隣の物資置き場の状況は、ほとんどわからない。
深刻なのは、

次の食料がいつ入るか分からない

などの、情報が伝わってこない、信憑性がないという事実。
メディアやツィッターなど食料に関して様々な情報があるが、やっぱり

無い所には無い

これは間違いなかった。
国のお偉いさん達が物資支援について、色々な手段を考えていらっしゃるが、それで物流がストップしているリスクも少なからずある。
その隙間を埋めるには、こうして

個人の力 行動力で命が救えるのは確かである事。

現に物資は届いている。
昨日ユーキから届いたメールだが、SAYが松本駅前のエスパで、買い込んだカップラーメンが、その日の夕食に配られたらしい。
食いつないだ と思った。嬉しかった。

皆 今日を生きている というリアルに直面する。

そこの職員さん達も、もしかしたら、家族が災害に巻き込まれているかもしれないのに、黙々と仕事をする姿に、こっちが逆に勇気づけられる。

小学校を訪れると、そこには笑いがあり、会話があり、東北人ならではの「強さ」みたいなものを感じた。

皆、悲しみの中、前に進もう という強い意志さえ伝わってくる。
本当に無傷の俺が、色々言って申し訳ないけど、頑張ってくれっ そう何度も願った。

物資を無事届けられた事に少し肩の荷が降りる。

そして彼らに、被災地に案内してもらう事にした。
車で近づける所まで移動し、歩き出す。
報道では、犯罪が多発している なんて情報を耳にするが、振り込み詐欺やレイプ 彼らの話しでは事実らしい。
俺は正直、それが一番許せない。松本から、状況も全く分からなかったため、もし何かあった時の為に、武器の一つも持って行くつもりだった、SAYも一応女だし。

今原発問題なんかで、政府もあまり手が回らない といった感じを、勝手に思う。
本当に個人個人気を付けて欲しい。
マジはらわた煮えくりかえる。

高速の下をくぐると、そこは見た事もない光景だった。
海辺からは、5キロほど離れていると聞いたが、まずは屋根に刺さった軽自動車が目に飛び込んだ。

さらに海に向かうギリギリ整備された道を行くと、徐々に事態は悪化してくる。
怖い事に、数分歩くと、その光景に慣れてしまっている自分がいる。

瓦礫一つどかす気にならない絶望的な景色、まだ政府も手がつけられないのか、作業員がぽつりぽつり歩いているくらい。重機も少ない。
散らばったアルバムや、子供のオモチャ、全ての思い出、そして数え切れない命が、一瞬で奪われたという感じだった。

感染症、集団疎開、無知なりに色々な事が頭をよぎる。

そもそもまだ生存者がいるかも知れない。
とにかく気が遠くなる。
俺達がどこまで行こうが、誰も止めない、大げさだが無政府状態といった感じだ。
、ここでは全てが自己責任で、日本とはとても思えなかった。
そして三時災害とでもいうのか、例えば漁業はどうなるんだろう?俺みたいな素人じゃ想像もできない。
沢山の船が陸に打ち上げられ、破損している。
ニュースの映像そのままだった。

畑や田んぼには、塩が入ったため、農地として復旧させるのは、難しいんじゃないか、そして取れた食物からは、放射性物質が検出された、これでニュースに踊らされた主婦達が、子供の為 とか言いながら、一斉に東北産の野菜を買わなくなる、勘弁してくれ。
現状なら全く体に害は無い、むしろ買ってやろうぜ。
この問題もかなり深刻で、まだ食べれる物を、破棄する事になるし、東北の農家は大打撃を受け、破綻に追い込まれる農家も少なくはないはずだ。

本当に体に害がないって事を知っている人は、しっかり伝えてほしいです。
うちの親父は、畑をやっているから、その事ばかりを案ずる。
そんな事を考えながら、道が封鎖されている所で、折り返した、この先はまだあの日のままらしい。

とにかく青森から、南へこれが数百キロ続いていると思うと、改めて自然の怖さを思い知る。

涙が枯れたら、前を向くしかない。

本当に今、緊急事態が日常化し、マヒしている。嘘と真実、お茶の間には、バラエティーが流れだし、ホッとする。それと同時に、被害への関心が薄まっていくのも事実。今こそ、国民一人一人の、判断 行動 愛 がものを言う時だ。個人で物資を届けるのは、正直すすめられない、だけど確かな手順を踏めば、救える。

気持ちが大切だが、本当に今大切なのは、確かな物資を確実に届ける事。

少なくとも、一人、一人が、できる事を、考えるだけではなく、動く事だ。

売名行為、偽善 まぁなんでもいいが、あーだこーだ言ってる奴らより、よっぽど貢献している。

結局精神論っぽくなってしまったが、そのくらい皆で立ち向かうべき問題であり、痛みに触れる必要がある。

目をそらす理由をさがせばキリがない、やる理由はシンプルだ。
なぜなら俺たちは日本人だからだ。

今もSAYと、仕事の間を見て、最善の方法を考えている。
また皆に協力してもらうので、マジでよろしくお願いします。

最後に一言、いち早くケツをまくった音楽関係者の皆さん、
あんたたちの生み出す音楽は、ブタの餌にでもして下さい

人が団結する時は、テーマソングが必要です。
俺が一番好きな曲
We Are The Worldのように

エンターテイメントできなくても、もっと戦ってほしいもんだぜ

今日、亘理郡に水が通ったそうです。
物資もまとまった量が届いたそうです。
すげー嬉しい。

日々状況は変化し、これもあくまで情報です。

明日はどうなるかも分かりません。

彼らは今日もボランティア活動をしています。

俺達もまた今日から何かしよう。

今試される時だ

tatsu











  


Posted by asian2 at 21:39

2011年03月13日

3月13日の記事

東北での大災害に続き長野県北部を震源地とする大きな地震がありましたが、バンドメンバーは皆大丈夫です。毎日揺れますが中部はまだ大きな混乱はありません。
BBSやツイッター等でご心配くださった皆様、ありがとう。

被災者の方々のご無事を心から、心からお祈り致します。

頑張ろう、日本。
  


Posted by asian2 at 03:12

2011年01月01日

1月1日の記事

love ya!!
  


Posted by asian2 at 03:34

2010年12月31日

ラストライブ

1月のツアーキャンセル、本当に申し訳ありません。

楽しみにしてくれていた皆様方、応援してきて下さった皆様方には文字通り申し開きできません。


ASIAN2が皆様方にお会いする機会としまして、ラストライブを3月に行う予定で、場所・日程等調整しております。

ASIAN2の最後のステージ、今まで応援してきて下さった皆さんの心に残るものにします。

詳細は正月明けにUPできると思います。


-SHOJI-
  


Posted by asian2 at 19:57

2010年12月02日

信州人5ショット

地元ですら集まらない5人での集会の模様。
夜露シ苦。

SHOJI

以下告知
12/1よりmusic.jpで3nd ALBUM「very」着うたフル配信開始しました!
全楽曲の着うたフル配信スタートだそうです。
PVも携帯で見れるみたいなのでチェックしてね!
  


Posted by asian2 at 09:56

2010年12月01日

ラジオ

TFMいってきましたー。
ONCEって番組です。
次はFMyokohama E-ne!
頑張りまーす。
  


Posted by asian2 at 13:14

2010年11月21日

でたー。

発売中!!コレ言いたかった。
上は12月1日発売の全国流通版。
下が今日発売の長野県内限定版。

楽しんで下さい!

-SHOJI-
  


Posted by asian2 at 16:43

2010年11月17日

イヨイヨヒョウテンカ

さっびー!
いくらなんでも寒すぎる!

アルバム発売が近づくのはうれしいんだけどこれ以上寒くなるのは命に関わるYO!みんな酔っ払って外で寝ないでね!後悔すらできなくなるよ!

こんなクソ寒い日はこれ。
あまりにもアグレッシヴな柄のこの靴下。 超あったかい。
  


Posted by asian2 at 18:15

2010年11月15日

これから

今日の346バーでまーす。
長野県のみんなSBC見て下さいな

TATSU
  


Posted by asian2 at 21:44

2010年11月05日

ヒルハストールヨルハコレ

だーす!

めっきり寒くなってきた11月。皆様いかがお過ごしですか?
最近はツイッターばかりでコラムがめっきり減ってますが、まあそれ以前から大して書いてないので変わんないね。

さてさてアルバムの発売が近づいて来ました。松本盤は今月21日、全国盤は12月1日!楽しんでもらえたら幸いです。

でわでわ今年の風邪は喉からくるらしいのでネギ巻いて寝ます。
ちゃおー

TWENTY"20"
  


Posted by asian2 at 00:28

2010年10月25日

初めてのコーンバター

暇だから、前のマネージャーの剛。

久しぶりに会っら、ボケが悪化してた。 やっぱりピントもボケてる。

ライブを手伝ってもらうと、いつもトラブル。

今日もしっかりトラブった。

あ 今日ライブでした、下北沢で。初めて来てくれた人、いつも来てくれる人、 ライブのMCではキャラ的に言えませんが、

ありがとうー やで。


TATSU
  


Posted by asian2 at 00:08