2011年03月22日
現実を感じる
東北地方太平洋沖地震が起きてから、何日経ったのか?
長野でも余震が続き、テレビではまるでCG処理されたかのような映像が飛び交う毎日に、時間も恐怖感もマヒしていく。
幸いにも松本は何度も地震警告はあったものの被害は受けなかったが、わずか数100キロ離れた場所の出来事が、とても他人ごととは思えなかった。
東北にも友達がいる、地震から2日経った夜にメールが届いた。
「なんとか生きてる、今避難所にいる」って話せたのは、それから数日後、
声は震えていた
俺の音楽やってる昔からの仲間は、残念ながら命を落とした。
メディアでは放射線の情報を、頭ごなしに乱発する。
バカな俺は振り回され、あたふたした。
無力さと、無傷という傷に胸が痛む。
時間が経つごとに。
17日だったか、深夜2時に残っていたSAYからの着信履歴、明け方気づきコールバックすると、東北を目指すと言う。
俺も何かあったら動けるようにと、燃料は確保しておいたので、二つ返事でOKした。
すぐに頼れる仲間や、バンドの先輩方にサポートしてもらい、なんとかその日のうちに、行ける最低限のものは段取れた。
A2でも世話になっていたナガブロにも、物資支援をしてもらい、SAYと二人、19日の夜には松本を出発できた。
物資を託してくれた皆、ボランティアに協力してくれた 猛士(団体名)の皆、お前ら、マジで熱い!
2日間徹夜した後の宮城までの道のり、積み過ぎたトラックは激しく風に揺れた。
届けたい気持ちが先走り、気にもしなくなった。
というか俺たち自身行動が遅すぎる、結局行かない理由を探し、何日も引き伸ばした。
後悔した。
周りでもゴチャゴチャうるせー奴らもいた、大丈夫?とか、一般車両は入れないよー とか、本当に届くの とか。
うるさい、心配はいいが、荷物の一つも上げてくれっつう感じだった。
関係無いが、俺は歌を歌って来て、いつも何か始める時は、バッシングを受け、孤独感に襲われる、おそらくSAYもそうだったと思う。
A2は解散するが、その培ったスタンスを、音楽以外でも発揮すると俺は考えている。
っつーか、もう周りじゃ個人で輸送してる奴らいっぱいいるし、通行証や受け取り先が明確であれば、少なくとも進入できる事を確信していた。
なんか書いてたら、長くなりそうだし、言葉も乱暴になってきた。
話も右往左往するが、このまま書く。
福島に入ると、原発の事もあり、なんとなく緊張した。
一応、気にはしていないが、エアコンを切る。足元から、寒さが襲って来る。
外はまだ雪が残り、一般で輸送してそうな車両は、4~5台だけ。
抜かして行くタンクローリーを見ると、燃料を運んでいるのか、安心する。
頼りないAMから流れる音楽にかぶって、地震警告が鳴る。
ただならぬ雰囲気だ。
そうしてる間に、夜明けが来た。
宮城に近づくと、道路の破損が増えだした。
宮城に入り、SAYの友達の ユーキたちと合流する。
若く、地元思いの熱い奴らだ。
最初に目に映ったのは、スタンドに並ぶ、車の列だった。
中には人はほとんどいず、入るか入らないか分からないガソリンを待っている。
コンビニや飲食店はほとんど営業していなかったが、建物の崩壊が目につかず、ホッとする。
彼らの後をつけ、走る事20~30分、物資が足りていないエリアをいくつかピックアップしてた内の一つの、亘理郡にたどり着く。
駅で休憩をとると、タクシーのおっちゃん達が話し掛けて来て、世間話が始まった。
震災の事を聞けずにためらっていると、「どっから来た」とか、「物資届けに来た? そりゃ助かるなぁ」みたいに、明るく長く話しは弾む。俺も冗談の一つも返す、また安心する。 別れ際に言った一言の「海沿いには、半端な気持ちで行かん方がいいよ」 その言葉に、震災地の近くにいるという実感が、初めて湧いた。
SAYらとの会話も徐々に減り、身が引き締まる。
まずは、亘理郡の山元町役場を目指す、そこでは炊き出しが行われており、約100キロの米を下ろした。
大切に使って下さい
一言と、短いメモを残し、次は亘理郡役場へ行く。
役場の目の前には、小学校、中学校があり、そこに配給される物資だとすぐ分かった。
役場の職員さん達が待つ物資置き場に、ダンプを横付けると、「出来る事なら全部欲しい」と言われた。
ナガブロでも書いたが、同じ亘理郡の役場同士で、
物資の配給が上手くいっていない
という感じに思えた、そもそも小学校らには、300人近くの被災者がいるため、そこに回してくれ って事だったのかもしれないが。
ただ役場の職員さんが話していた確かな事は、隣町、あるいは隣の物資置き場の状況は、ほとんどわからない。
深刻なのは、
次の食料がいつ入るか分からない
などの、情報が伝わってこない、信憑性がないという事実。
メディアやツィッターなど食料に関して様々な情報があるが、やっぱり
無い所には無い
これは間違いなかった。
国のお偉いさん達が物資支援について、色々な手段を考えていらっしゃるが、それで物流がストップしているリスクも少なからずある。
その隙間を埋めるには、こうして
個人の力 行動力で命が救えるのは確かである事。
現に物資は届いている。
昨日ユーキから届いたメールだが、SAYが松本駅前のエスパで、買い込んだカップラーメンが、その日の夕食に配られたらしい。
食いつないだ と思った。嬉しかった。
皆 今日を生きている というリアルに直面する。
そこの職員さん達も、もしかしたら、家族が災害に巻き込まれているかもしれないのに、黙々と仕事をする姿に、こっちが逆に勇気づけられる。
小学校を訪れると、そこには笑いがあり、会話があり、東北人ならではの「強さ」みたいなものを感じた。
皆、悲しみの中、前に進もう という強い意志さえ伝わってくる。
本当に無傷の俺が、色々言って申し訳ないけど、頑張ってくれっ そう何度も願った。
物資を無事届けられた事に少し肩の荷が降りる。
そして彼らに、被災地に案内してもらう事にした。
車で近づける所まで移動し、歩き出す。
報道では、犯罪が多発している なんて情報を耳にするが、振り込み詐欺やレイプ 彼らの話しでは事実らしい。
俺は正直、それが一番許せない。松本から、状況も全く分からなかったため、もし何かあった時の為に、武器の一つも持って行くつもりだった、SAYも一応女だし。
今原発問題なんかで、政府もあまり手が回らない といった感じを、勝手に思う。
本当に個人個人気を付けて欲しい。
マジはらわた煮えくりかえる。
高速の下をくぐると、そこは見た事もない光景だった。
海辺からは、5キロほど離れていると聞いたが、まずは屋根に刺さった軽自動車が目に飛び込んだ。
さらに海に向かうギリギリ整備された道を行くと、徐々に事態は悪化してくる。
怖い事に、数分歩くと、その光景に慣れてしまっている自分がいる。
瓦礫一つどかす気にならない絶望的な景色、まだ政府も手がつけられないのか、作業員がぽつりぽつり歩いているくらい。重機も少ない。
散らばったアルバムや、子供のオモチャ、全ての思い出、そして数え切れない命が、一瞬で奪われたという感じだった。
感染症、集団疎開、無知なりに色々な事が頭をよぎる。
そもそもまだ生存者がいるかも知れない。
とにかく気が遠くなる。
俺達がどこまで行こうが、誰も止めない、大げさだが無政府状態といった感じだ。
、ここでは全てが自己責任で、日本とはとても思えなかった。
そして三時災害とでもいうのか、例えば漁業はどうなるんだろう?俺みたいな素人じゃ想像もできない。
沢山の船が陸に打ち上げられ、破損している。
ニュースの映像そのままだった。
畑や田んぼには、塩が入ったため、農地として復旧させるのは、難しいんじゃないか、そして取れた食物からは、放射性物質が検出された、これでニュースに踊らされた主婦達が、子供の為 とか言いながら、一斉に東北産の野菜を買わなくなる、勘弁してくれ。
現状なら全く体に害は無い、むしろ買ってやろうぜ。
この問題もかなり深刻で、まだ食べれる物を、破棄する事になるし、東北の農家は大打撃を受け、破綻に追い込まれる農家も少なくはないはずだ。
本当に体に害がないって事を知っている人は、しっかり伝えてほしいです。
うちの親父は、畑をやっているから、その事ばかりを案ずる。
そんな事を考えながら、道が封鎖されている所で、折り返した、この先はまだあの日のままらしい。
とにかく青森から、南へこれが数百キロ続いていると思うと、改めて自然の怖さを思い知る。
涙が枯れたら、前を向くしかない。
本当に今、緊急事態が日常化し、マヒしている。嘘と真実、お茶の間には、バラエティーが流れだし、ホッとする。それと同時に、被害への関心が薄まっていくのも事実。今こそ、国民一人一人の、判断 行動 愛 がものを言う時だ。個人で物資を届けるのは、正直すすめられない、だけど確かな手順を踏めば、救える。
気持ちが大切だが、本当に今大切なのは、確かな物資を確実に届ける事。
少なくとも、一人、一人が、できる事を、考えるだけではなく、動く事だ。
売名行為、偽善 まぁなんでもいいが、あーだこーだ言ってる奴らより、よっぽど貢献している。
結局精神論っぽくなってしまったが、そのくらい皆で立ち向かうべき問題であり、痛みに触れる必要がある。
目をそらす理由をさがせばキリがない、やる理由はシンプルだ。
なぜなら俺たちは日本人だからだ。
今もSAYと、仕事の間を見て、最善の方法を考えている。
また皆に協力してもらうので、マジでよろしくお願いします。
最後に一言、いち早くケツをまくった音楽関係者の皆さん、
あんたたちの生み出す音楽は、ブタの餌にでもして下さい
人が団結する時は、テーマソングが必要です。
俺が一番好きな曲
We Are The Worldのように
エンターテイメントできなくても、もっと戦ってほしいもんだぜ
今日、亘理郡に水が通ったそうです。
物資もまとまった量が届いたそうです。
すげー嬉しい。
日々状況は変化し、これもあくまで情報です。
明日はどうなるかも分かりません。
彼らは今日もボランティア活動をしています。
俺達もまた今日から何かしよう。
今試される時だ
tatsu
長野でも余震が続き、テレビではまるでCG処理されたかのような映像が飛び交う毎日に、時間も恐怖感もマヒしていく。
幸いにも松本は何度も地震警告はあったものの被害は受けなかったが、わずか数100キロ離れた場所の出来事が、とても他人ごととは思えなかった。
東北にも友達がいる、地震から2日経った夜にメールが届いた。
「なんとか生きてる、今避難所にいる」って話せたのは、それから数日後、
声は震えていた
俺の音楽やってる昔からの仲間は、残念ながら命を落とした。
メディアでは放射線の情報を、頭ごなしに乱発する。
バカな俺は振り回され、あたふたした。
無力さと、無傷という傷に胸が痛む。
時間が経つごとに。
17日だったか、深夜2時に残っていたSAYからの着信履歴、明け方気づきコールバックすると、東北を目指すと言う。
俺も何かあったら動けるようにと、燃料は確保しておいたので、二つ返事でOKした。
すぐに頼れる仲間や、バンドの先輩方にサポートしてもらい、なんとかその日のうちに、行ける最低限のものは段取れた。
A2でも世話になっていたナガブロにも、物資支援をしてもらい、SAYと二人、19日の夜には松本を出発できた。
物資を託してくれた皆、ボランティアに協力してくれた 猛士(団体名)の皆、お前ら、マジで熱い!
2日間徹夜した後の宮城までの道のり、積み過ぎたトラックは激しく風に揺れた。
届けたい気持ちが先走り、気にもしなくなった。
というか俺たち自身行動が遅すぎる、結局行かない理由を探し、何日も引き伸ばした。
後悔した。
周りでもゴチャゴチャうるせー奴らもいた、大丈夫?とか、一般車両は入れないよー とか、本当に届くの とか。
うるさい、心配はいいが、荷物の一つも上げてくれっつう感じだった。
関係無いが、俺は歌を歌って来て、いつも何か始める時は、バッシングを受け、孤独感に襲われる、おそらくSAYもそうだったと思う。
A2は解散するが、その培ったスタンスを、音楽以外でも発揮すると俺は考えている。
っつーか、もう周りじゃ個人で輸送してる奴らいっぱいいるし、通行証や受け取り先が明確であれば、少なくとも進入できる事を確信していた。
なんか書いてたら、長くなりそうだし、言葉も乱暴になってきた。
話も右往左往するが、このまま書く。
福島に入ると、原発の事もあり、なんとなく緊張した。
一応、気にはしていないが、エアコンを切る。足元から、寒さが襲って来る。
外はまだ雪が残り、一般で輸送してそうな車両は、4~5台だけ。
抜かして行くタンクローリーを見ると、燃料を運んでいるのか、安心する。
頼りないAMから流れる音楽にかぶって、地震警告が鳴る。
ただならぬ雰囲気だ。
そうしてる間に、夜明けが来た。
宮城に近づくと、道路の破損が増えだした。
宮城に入り、SAYの友達の ユーキたちと合流する。
若く、地元思いの熱い奴らだ。
最初に目に映ったのは、スタンドに並ぶ、車の列だった。
中には人はほとんどいず、入るか入らないか分からないガソリンを待っている。
コンビニや飲食店はほとんど営業していなかったが、建物の崩壊が目につかず、ホッとする。
彼らの後をつけ、走る事20~30分、物資が足りていないエリアをいくつかピックアップしてた内の一つの、亘理郡にたどり着く。
駅で休憩をとると、タクシーのおっちゃん達が話し掛けて来て、世間話が始まった。
震災の事を聞けずにためらっていると、「どっから来た」とか、「物資届けに来た? そりゃ助かるなぁ」みたいに、明るく長く話しは弾む。俺も冗談の一つも返す、また安心する。 別れ際に言った一言の「海沿いには、半端な気持ちで行かん方がいいよ」 その言葉に、震災地の近くにいるという実感が、初めて湧いた。
SAYらとの会話も徐々に減り、身が引き締まる。
まずは、亘理郡の山元町役場を目指す、そこでは炊き出しが行われており、約100キロの米を下ろした。
大切に使って下さい
一言と、短いメモを残し、次は亘理郡役場へ行く。
役場の目の前には、小学校、中学校があり、そこに配給される物資だとすぐ分かった。
役場の職員さん達が待つ物資置き場に、ダンプを横付けると、「出来る事なら全部欲しい」と言われた。
ナガブロでも書いたが、同じ亘理郡の役場同士で、
物資の配給が上手くいっていない
という感じに思えた、そもそも小学校らには、300人近くの被災者がいるため、そこに回してくれ って事だったのかもしれないが。
ただ役場の職員さんが話していた確かな事は、隣町、あるいは隣の物資置き場の状況は、ほとんどわからない。
深刻なのは、
次の食料がいつ入るか分からない
などの、情報が伝わってこない、信憑性がないという事実。
メディアやツィッターなど食料に関して様々な情報があるが、やっぱり
無い所には無い
これは間違いなかった。
国のお偉いさん達が物資支援について、色々な手段を考えていらっしゃるが、それで物流がストップしているリスクも少なからずある。
その隙間を埋めるには、こうして
個人の力 行動力で命が救えるのは確かである事。
現に物資は届いている。
昨日ユーキから届いたメールだが、SAYが松本駅前のエスパで、買い込んだカップラーメンが、その日の夕食に配られたらしい。
食いつないだ と思った。嬉しかった。
皆 今日を生きている というリアルに直面する。
そこの職員さん達も、もしかしたら、家族が災害に巻き込まれているかもしれないのに、黙々と仕事をする姿に、こっちが逆に勇気づけられる。
小学校を訪れると、そこには笑いがあり、会話があり、東北人ならではの「強さ」みたいなものを感じた。
皆、悲しみの中、前に進もう という強い意志さえ伝わってくる。
本当に無傷の俺が、色々言って申し訳ないけど、頑張ってくれっ そう何度も願った。
物資を無事届けられた事に少し肩の荷が降りる。
そして彼らに、被災地に案内してもらう事にした。
車で近づける所まで移動し、歩き出す。
報道では、犯罪が多発している なんて情報を耳にするが、振り込み詐欺やレイプ 彼らの話しでは事実らしい。
俺は正直、それが一番許せない。松本から、状況も全く分からなかったため、もし何かあった時の為に、武器の一つも持って行くつもりだった、SAYも一応女だし。
今原発問題なんかで、政府もあまり手が回らない といった感じを、勝手に思う。
本当に個人個人気を付けて欲しい。
マジはらわた煮えくりかえる。
高速の下をくぐると、そこは見た事もない光景だった。
海辺からは、5キロほど離れていると聞いたが、まずは屋根に刺さった軽自動車が目に飛び込んだ。
さらに海に向かうギリギリ整備された道を行くと、徐々に事態は悪化してくる。
怖い事に、数分歩くと、その光景に慣れてしまっている自分がいる。
瓦礫一つどかす気にならない絶望的な景色、まだ政府も手がつけられないのか、作業員がぽつりぽつり歩いているくらい。重機も少ない。
散らばったアルバムや、子供のオモチャ、全ての思い出、そして数え切れない命が、一瞬で奪われたという感じだった。
感染症、集団疎開、無知なりに色々な事が頭をよぎる。
そもそもまだ生存者がいるかも知れない。
とにかく気が遠くなる。
俺達がどこまで行こうが、誰も止めない、大げさだが無政府状態といった感じだ。
、ここでは全てが自己責任で、日本とはとても思えなかった。
そして三時災害とでもいうのか、例えば漁業はどうなるんだろう?俺みたいな素人じゃ想像もできない。
沢山の船が陸に打ち上げられ、破損している。
ニュースの映像そのままだった。
畑や田んぼには、塩が入ったため、農地として復旧させるのは、難しいんじゃないか、そして取れた食物からは、放射性物質が検出された、これでニュースに踊らされた主婦達が、子供の為 とか言いながら、一斉に東北産の野菜を買わなくなる、勘弁してくれ。
現状なら全く体に害は無い、むしろ買ってやろうぜ。
この問題もかなり深刻で、まだ食べれる物を、破棄する事になるし、東北の農家は大打撃を受け、破綻に追い込まれる農家も少なくはないはずだ。
本当に体に害がないって事を知っている人は、しっかり伝えてほしいです。
うちの親父は、畑をやっているから、その事ばかりを案ずる。
そんな事を考えながら、道が封鎖されている所で、折り返した、この先はまだあの日のままらしい。
とにかく青森から、南へこれが数百キロ続いていると思うと、改めて自然の怖さを思い知る。
涙が枯れたら、前を向くしかない。
本当に今、緊急事態が日常化し、マヒしている。嘘と真実、お茶の間には、バラエティーが流れだし、ホッとする。それと同時に、被害への関心が薄まっていくのも事実。今こそ、国民一人一人の、判断 行動 愛 がものを言う時だ。個人で物資を届けるのは、正直すすめられない、だけど確かな手順を踏めば、救える。
気持ちが大切だが、本当に今大切なのは、確かな物資を確実に届ける事。
少なくとも、一人、一人が、できる事を、考えるだけではなく、動く事だ。
売名行為、偽善 まぁなんでもいいが、あーだこーだ言ってる奴らより、よっぽど貢献している。
結局精神論っぽくなってしまったが、そのくらい皆で立ち向かうべき問題であり、痛みに触れる必要がある。
目をそらす理由をさがせばキリがない、やる理由はシンプルだ。
なぜなら俺たちは日本人だからだ。
今もSAYと、仕事の間を見て、最善の方法を考えている。
また皆に協力してもらうので、マジでよろしくお願いします。
最後に一言、いち早くケツをまくった音楽関係者の皆さん、
あんたたちの生み出す音楽は、ブタの餌にでもして下さい
人が団結する時は、テーマソングが必要です。
俺が一番好きな曲
We Are The Worldのように
エンターテイメントできなくても、もっと戦ってほしいもんだぜ
今日、亘理郡に水が通ったそうです。
物資もまとまった量が届いたそうです。
すげー嬉しい。
日々状況は変化し、これもあくまで情報です。
明日はどうなるかも分かりません。
彼らは今日もボランティア活動をしています。
俺達もまた今日から何かしよう。
今試される時だ
tatsu
Posted by asian2 at 21:39