2011年04月27日

4月17日 第四便

石巻では二度目の炊き出しだ。
今回もヨークベニマル大街道店の駐車場をお借りした。

メンバーはリョウワ、げんよう、だいちゃん、そしてニューカマー、まさしとア
ン、俺を加えた6人だ。

仙台で一人ピックアップする予定。

前回、うどんとカレーを出したんだが、大根、ジャガイモの火の通りが悪く、待
たせてしまったので却下。

石巻のブラザー達に「何食いたいっ」て聞いたら 「カレーや豚汁は見飽きたん
ですよねー」だって。

出会って二回目にして図々しい、嫌いじゃないが。

とにかく肉 肉 肉。
らしいので、肉だらけの牛丼に決定。

すぐにだいちゃんに肉を手配して貰う、松本の肉屋をぎゅうじる男に(嘘)

野菜も松本青果物流通センターさんや、マルショウさんなどに沢山頂いた。

調理も広いキッチンをお借りする事ができ、今回そんな縁で協力して下さる事に
なった池本ねーさんが主婦仲間に声をかけてくれたので、仕込みは順調そうだ。

この場を借りてありがとうございました。

物資の方もみなそれぞれ声をかけてくれたので、いい感じに集まった。
よく仕事は段取り八割、何とかが二割と言うが、出発前に何十人とゆう人が協力
してくれる、物資を託してくれる人も入れたら何百人かもしれない。

同行する連中も一人一人責任感が高まって行く。

あっ一人忘れていた、げんようのおやじさんも連れてったんだ。

名前はアキラ。

アキラは今でも現役の役者だ。
芸術家としてのバイブスやスピリットは俺達と変わらない。
「芸術こそ真実だ」ってアキラの言葉を俺は胸に刻んでるんすけど、本人ありゃ
忘れてたな。

とにかく気持ちの問題だ。

リョウワにげんよう、だいちゃん 本当によくやってくれる。

16日 仕込み 出発。

アンを助手席に乗せ、いつものよう先頭を走った、爆音でロックを流すも、登り
は40キロしかでないスーパートラックで。

毎度福島で熱いコーヒーを飲む。

朝方4時、いつもより早く着きそうなので長めの休憩。

日もすっかり昇った7時頃だったかな?仙台で里美と合流。
里美はA2のライブに仙台から妹と毎回来てくれていた今でも大切なファンだ。
彼女も今回の地震で、津波の影響はなかったものの、大分怖い思いをした一人。
ありがとう里美。

里美を乗せ三陸道を石巻方面へ。

インターを下りると、二週間前より少しきれいになっていた町並みが待っていた。

こんな事が嬉しい。

ヨークベニマルへ到着すると、馬鹿兄弟(よしのり、ひろ)の親父さん、お袋さ
んまで、俺達を迎えてくれた。

親父さんはオープニングから目に涙を溜め「来てくれてありがとう ありがと
う」と俺ら一人一人の手を握った。
暖かい東北なまりに貰い泣きそうになる。

さあシャキッとして炊き出しの準備だ。

風が吹いたり、ホコリは舞うわで、パニクりながら皆、試行錯誤しながゲリラ的
に環境を整える。

「牛丼など11~16時頃」

みたいな看板を国道沿いに向けると、あっと言う間に人が集まった。
牛丼の他に 中華スープ、ゆで卵、フルーツポンチ、漬物などを用意。

押し寄せる行列にあたふたしたが、よしのりの兄夫婦(あいつ三人兄弟か)、お
いちゃんも駆け付けてくれ、15~16人がかりでなんとか回り始めた。

肉80キロ以上入った料理長(さつき寿司)の味付けはスキヤを超え、皆の舌をう
ならせた。

アンも手際よくご飯をふるまった。
肉食うのは一月以上ぶりと言う人がほとんどで喜んでくれた人の顔が忘れられない。

前回も来てくれたおばちゃんやおっちゃんにも会えた。

昼、夜と7時間近く予定していた約1000食は、ものの2時間で完売した。

ブルーシートを広げて物資を配る。

人が殺到しているため、その場をげんようが仕切り、並んでもらいうまく配分した。

炭水化物ばかりの食事の為、ビタミン、タンパク質がかなり不足している様子。
果物や生野菜は中でも貴重だ。

一段落すると、小学校の生徒さんがおこずかいを出し合い買ってくれた文房具
を、大街道小学校に届けた。

出る前に約束したしね。
先生泣いて喜んでたよ。
生徒達も自分の好きなキャラクターにテンション上がってたな。

その足でよしのりの父ちゃんに運転を任せ、アンと里美を乗せ石巻の海が見渡せ
る高台の日和公園へ向かった。

途中民間の庭に所狭しと土葬されたのか、看板が立つ。
思わず手を合わせた。

公園から海を見渡した、父ちゃんは自分の職場だった病院を始めて上から見下ろ
すとただ、

「何にも無くなっちまったんだなー」

と、何度も何度も繰り返してたなぁ。

夕方4時頃だったかな?
ヨークベニマルに戻り、日がある内に帰る事にした。
家族が見送ってくれる、今度は母ちゃんに涙。
誰がほっとけるのか。

帰りは馬鹿なやじ馬で渋滞するも、朝方4時には無事松本に到着した。

今東京のスタジオで若いバンドのプロデュースをしながらこのブログを書いてる。

余震はあるが同じ国とは思えないほどにぎやかだ。

我等が長野松本の企業さん達もようやく指示してくれるようになった。

政治家は相変わらず役にたたんが
またGW明けに出る予定なので、皆さん協力お願いします。

どうかこの灯を絶やさぬように。

tatsu


Posted by asian2 at 14:20