2011年04月13日
3月26日 第二便
なかなか忙しく、ブログが更新できなくてすいません。
3月26日、昔のマネージャーの剛らと、塩釜、石巻に、果物、野菜などを中心とした物資を運んだ。
俺達が「東北のボス」って勝手に呼んでいる 矢部さん という人を頼りに。
その日の事をさっと書こう。
現地に到着し、本塩釜駅前で矢部さんを待つ。
10分ほどして現れた矢部さんと、熱いハグ、これが初対面。
そして、矢部さんは、俺らに深々頭をさげ、丁寧に挨拶する。
筋が一本通った、男気溢れる人だ。
その日も、朝から町の復興に命を注いでいた。
塩釜に紙類などを降ろし、残りの物資を矢部さんに先導してもらい、石巻に向かう。
石巻に着いた頃には、もう日が落ちていた。
軍手をはめ、一斉に荷物を下ろした。
驚くほどの物資の数に長野の皆を誇りに思う。
最後に俺の友達が持たせてくれた信州味噌を使い、早速味噌汁を作って振る舞ってくれた。
剛らと手を洗いに、蛇口をひねると、ちょろちょろとしか出ない。
細過ぎる水を大事に指先を濡らした。
倉庫には5~6人いたかな?
とにかく楽しく喋り始め、温かい味噌汁と笑いで、冷え切った室内が、一時なごんだ。
矢部さんが真面目に語り始めると、剛らは溢れんばかりの涙をこらえていた。
二週間以上も前の事なので、詳しくは書かないが、これだけは書いてくれ っつうのを書きたい。
震災が起きて間もなく、ワイドショーが取材に来たらしい、その中のディレクターだかスタッフが、被災者に向け言う
「これ撮ったら結構数字取れますかね?」
こう返したそうだ
「俺らも一応被災者なんだけど...」
奴らは目も合わせず「あ、そうなんですか、ごめんなさい」と言ったらしい
その話をしている時の矢部さんや、そこにいたおじさん達の顔は、眉間にしわを寄せ、込み上げる怒りをただこらえていた。
俺も音楽業界にいて、そんなクズ野郎は死ぬほど見てきたが、とにかく殴りたくなる。
今のテレビを作ってんのはそんな奴らだ。
「また遊びに来るね」と言うと、「今度は野沢菜頼むねー」
そんな会話を後に、トラックのアクセルを踏む。
矢部さんの後を付け帰り出す、少し走り出すと、前を走る彼から、電話がくる。
途切れ途切れの声で
「たっちゃん、ここ一番人死んだ所だから目に焼き付けといて、左は住宅地で右は飲食店なんかが並んでた所だ」
もちろん町らしい光は無い、暗くなった海沿いに目を細め、ゆっくりゆっくり走った。
車内は長い間無言になり、瓦礫とグチャグチャになった車だけがループするだけ。
伝えたい事は山ほどある。
嬉しかった事は一緒に来た仲間が、現場を見て、感じ、泣き、分かち合い、それを伝えようとしている姿だった。
こうやってまた小さな力が集まればいい。
メディアは肝心な事や、エグい事は放送しない。
無能な政治家に託すのではなく、自分達で越えて行こうとまた思う。
そして後方支援してくれる皆さん、いつも感謝してます。
たまに挟んである手紙に勇気付けられます。
皆の熱い思いは、愛や笑顔を生んでいますよ。
tatsu
3月26日、昔のマネージャーの剛らと、塩釜、石巻に、果物、野菜などを中心とした物資を運んだ。
俺達が「東北のボス」って勝手に呼んでいる 矢部さん という人を頼りに。
その日の事をさっと書こう。
現地に到着し、本塩釜駅前で矢部さんを待つ。
10分ほどして現れた矢部さんと、熱いハグ、これが初対面。
そして、矢部さんは、俺らに深々頭をさげ、丁寧に挨拶する。
筋が一本通った、男気溢れる人だ。
その日も、朝から町の復興に命を注いでいた。
塩釜に紙類などを降ろし、残りの物資を矢部さんに先導してもらい、石巻に向かう。
石巻に着いた頃には、もう日が落ちていた。
軍手をはめ、一斉に荷物を下ろした。
驚くほどの物資の数に長野の皆を誇りに思う。
最後に俺の友達が持たせてくれた信州味噌を使い、早速味噌汁を作って振る舞ってくれた。
剛らと手を洗いに、蛇口をひねると、ちょろちょろとしか出ない。
細過ぎる水を大事に指先を濡らした。
倉庫には5~6人いたかな?
とにかく楽しく喋り始め、温かい味噌汁と笑いで、冷え切った室内が、一時なごんだ。
矢部さんが真面目に語り始めると、剛らは溢れんばかりの涙をこらえていた。
二週間以上も前の事なので、詳しくは書かないが、これだけは書いてくれ っつうのを書きたい。
震災が起きて間もなく、ワイドショーが取材に来たらしい、その中のディレクターだかスタッフが、被災者に向け言う
「これ撮ったら結構数字取れますかね?」
こう返したそうだ
「俺らも一応被災者なんだけど...」
奴らは目も合わせず「あ、そうなんですか、ごめんなさい」と言ったらしい
その話をしている時の矢部さんや、そこにいたおじさん達の顔は、眉間にしわを寄せ、込み上げる怒りをただこらえていた。
俺も音楽業界にいて、そんなクズ野郎は死ぬほど見てきたが、とにかく殴りたくなる。
今のテレビを作ってんのはそんな奴らだ。
「また遊びに来るね」と言うと、「今度は野沢菜頼むねー」
そんな会話を後に、トラックのアクセルを踏む。
矢部さんの後を付け帰り出す、少し走り出すと、前を走る彼から、電話がくる。
途切れ途切れの声で
「たっちゃん、ここ一番人死んだ所だから目に焼き付けといて、左は住宅地で右は飲食店なんかが並んでた所だ」
もちろん町らしい光は無い、暗くなった海沿いに目を細め、ゆっくりゆっくり走った。
車内は長い間無言になり、瓦礫とグチャグチャになった車だけがループするだけ。
伝えたい事は山ほどある。
嬉しかった事は一緒に来た仲間が、現場を見て、感じ、泣き、分かち合い、それを伝えようとしている姿だった。
こうやってまた小さな力が集まればいい。
メディアは肝心な事や、エグい事は放送しない。
無能な政治家に託すのではなく、自分達で越えて行こうとまた思う。
そして後方支援してくれる皆さん、いつも感謝してます。
たまに挟んである手紙に勇気付けられます。
皆の熱い思いは、愛や笑顔を生んでいますよ。
tatsu
Posted by asian2 at 18:37