2011年04月14日

4月3日 第三便

今回は地元の仲間のリョウワ、げんよう、大ちゃん、麻衣子、あーちゃん
俺を含む6人で石巻に炊き出しに行った。

前回と同じく矢部さんを頼りに、石巻のヨークベニマル大街道店の前で炊き出しをする事ができた。

この日から3日ほど前にやべっち(矢部さん)と連絡が取れ、宮城の状況を聞くと、物資は勿
論だが炊き出しが嬉しいと言われ、すぐ段取りを始めた。

前回のブログでも紹介した仲間のリョウワと麻衣子は、居酒屋を経営してるもん
だからこういう時に心強い。

やべっちに300食くらい と言われたが、俺たちはそんなタマじゃない
1200食用意した。

言い忘れたけど、今日からフランクに書くぞ!
誤字脱字は突破する。

まず昔からの仲間に死ぬほど野菜をもらう。
とにかくここぞとばかりに集まった、友達の美女や、手際の良い主婦の皆さん、
何故かトレーニング中のボディービルダー含む約10人。

2日(土)の午後から4~5時間ぶっ続けで、包丁を握ってもらった。

料理長のリョウワとの審議の上、昼に炊き込みご飯のおにぎりとうどん、夜は皆
ハッピーカレーに決定、肉は大ちゃんが知り合いから譲ってもらい、とにかく美
味そうな予感がした。

寸胴3発に巨大鍋2発、ガス周りも四賀村にある知り合いのスーパーからお借り
し、慣れないながら、何となく形になってくる。
本当に心よく協力してくれた方々には感謝している。

米なんかも山形村在住の後輩の元バンドマン、ミスターじんが100キロ以上出し
てくれて、それを俺が通っているジムや、リョウワの実家の厨房、徳運寺ってお
寺などで、無理やり炊いた。

A2のファンだった ゆーじ って変わったヤツも買い出しやらなんやらいつも助け
てくれる、バカで熱いヤツだ。

3日(日)になり、集まった物資の仕分け:燃料、水、皿だの箸だので、忙しく
なってくる。

おにぎりを握りにバレリーナのともみがやって来た。
しかもオシャレをして。笑

テレビ松本で働く幸子、幸子の妹夫婦、またボディービルダーの小野さん
そして俺、とにかく握る。

冗談っぽく書いているけど、ここに登場する彼ら、彼女らは、「できる事な
い?」って電話くれたり、自ら手伝ってくれるような心ある人たちだ。
皆笑っているが、ラジオからニュースが流れると、耳を傾け、心配する、心ある
人たちだ。

仕事を終えたげんようと麻衣子、あーちゃんが合流、21時を回る

げんように荷積みを任せ、着替えとシャワーを浴びに家に帰る。
いつも出発時にはスタミナは切れている。
リョウワに関しちゃ仕込みや自分の仕事なんかで、一日半くらい寝てねぇな。

皆から預かった物資、食材、燃料なんかを入る限り詰め込み、24時前に松本イン
ターに入った。

いつも自分のバイクや車なんかをいじってくれてるヨシタダさんに整備しても
らったトラックと、マイカー二台で、宮城に向かった。
これで4度目の出発。

本当はいつも不安がある。

原発どうたら、地震、車の故障、今回も皆初めて行く奴らばかり、しかも女性を
連れている、あんな量の炊き出しの経験もない。
まぁすぐどうでもよくなるが。。

必ず思うのは、昔ツアーで行った時のように、楽しい気分で北へ行ける日はいつ
来るのだろう...

それを考えちまうよ

石巻に着いたのは朝9時頃だったかな。
疲れているのに、その光景に眠気を奪われ、誰も寝もしない。
ただそこにあったはずの町並みを眺めている。

ヨークベニマルに到着すると、荷物を下ろし、さっそく鍋に火を付ける。

そうじ屋がスーパーの泥をまだかき出している始末。
でも今日は10時から15時の間は営業するらしい。
そう それが大事。

11時ともなれば、ポツラ、ポツラと人が集まって来た。

出来上がったうどんと、おにぎりを配る、皆少し笑顔になった。

うどんが間に合わなくなると、長い列ができていた、本当に皆さん静かに並んで
いる、信じられないくらいに。

でも思うんだけどさぁ
あんまり被災者、被災者って言うのも、向こうの人から言わたらどうなんだろうな?

「おっちゃんタバコいるー?とか家あんの?」なんて話かけたら、まぁ普通の世
間話が始まるわなぁ

お互い心の中じゃ色々感じてるけど、やっぱり普通に話しかけりゃ そりゃ普通
に話し返すわな。

「長野から来た」っつったら「長野って九州か?」なんて寝言言ってみたり。
おばちゃんにおばちゃんって言ったら怒られたり。

なんかそうしてるうちに、こっちの皆も緊張が解け始めて、すごく自然な場所に
なったよ。

げんようのギャグもそこそこ冴えてたし(笑)、大ちゃんの声のトーンも上がって
来た感じ。

かなり忙しく4つの鍋を回し、気が付けば14時を過ぎていた。

夕飯の準備をする前に、トラックにかさばった物資を八百屋方式で配給した。
お菓子、缶詰めなどすぐ口にできる物はあっちゅーまになくなった。

とにかく一階が浸水している家が多いため、キッチンが機能しないらしい。

二回から出入りしているおばちゃんにストーブを運ぶ。

かたや取り合いにならないように諭す。
果物など30ケース以上を含む物資は瞬く間になくなった。
そのリアルな現実に大ちゃんは言葉を失っていた。

そう言えばいわき平競輪場?だったっけ
物資置き場になってんだけど、動画見た?
マジで引くぐらいの数の物資が配らないまま放置されている。

この辺じゃ一日にパン二つしか支給されない所があったりなのに、お国様の命令
がないと、自衛隊でも何でも動けないんだもんね。

話は変わるけど、放射線対策だかなんだか知らんけど、なんか奴ら800万くらい
かけて、調子のいいジャケット作って着てるらしいな。

全然興味ねーから、よく分かんねーけど、金のかかったギャグだな。

トップのおじさんは被災地訪問を、地震が来たからキャンセルだって。
そこに住んでる人どうすんだ?

民主も自民もどーでもいいが、今政治には全く興味がない。
勿論選挙は行かない。

ヤバいまた長文になる。
とにかく1日いるだけで、考える事、伝えたい事が多過ぎる。

石巻で仲間が出来た。

物資を配っているとちょろちょろ手伝う一見田舎不良の若者達、名前はひろ よ
しのり 二人は兄弟で、よしのりが兄だ。

そしてまだ若く見えるが、二人のおじ、俺たちはおっちゃんと呼んでいた。

とにかく兄弟は人なつこく、よく手伝う。

俺たちとすぐ打ち解けた、俺以外のメンバーは初めて踏む大地。
ひろに被災地を案内させ、一人ひたすらカレー鍋をかき混ぜた。

被災地を歩いた彼らは絶望的な景色にあっけに取られた事だろう。

でも皆、いい意味でスッキリした顔をして帰って来た。
そう、俺も最初に思ったんだけど、あの光景をまのあたりにすると、何かが吹っ
切れて、前を向くしかなくなるんだよね。

俺達は炊き出ししか出来ないけど、それでもリョウワはデカい声で「頑張ってき
ましょうねっ」て声かけたり、麻衣子やあーちゃんは、子供やお年寄りに、さら
にやさしい言葉でケアする。

終始目に涙を溜めていたげんようも、いつもの熱さを取り戻し笑いを生む。

ひろ達も黙々と手伝った。
具だくさんで、松本の思いが詰まったカレー。

いくら食べ飽きたっつっても、さすがはカレー、みんな喜んだ。

自分達は口にしないのがボランティアの基本らしいが、我々には関係ないので、
食いながら、時にはくわえタバコで配った。まあ普通だね。

物資を届けていた時は、被災者と話す事が少なかったが、今回は一人一人に声を
かけられるので、3 11のエピソードが時には俺達の胸を締め付けた。

鍋を持ってきたママに、「何人前?」って聞いたら、「子供が一人見つからな
い」って泣き崩れた。

炊き出しを聞きつけ、道無き道を、リュックサックをしょい
一時間かけて歩いてくるお父さん。

のんきに「野菜がかたい」ってクレームつけるおばちゃん。
まあそれはそれでなんかホッとするな。

俺達はたまたまおしゃべりな奴らの集まりだったので、とにかく話したなぁ

中には震災の事を話してスッキリしてる人もいた。

よく考えればそうだよな そりゃ聞いて欲しいよ。
ストレスを減らすには他の風が入る事が大事だもんな。

夜もふけ、辺りが暗くなると同時に、一気に人気がなくなる。

まだ治安が悪いから、
とよしのりが言う。

それでも一人、また一人と来てくれてるので、二台の車を斜にして、テーブルを
照らし続けた。
海沿いの天気は雨が降ったり、雪が舞ったりと、とにかく寒く、皆の体力も限界だ。

また一つ思う

何故かここで一緒に過ごした仲間とは、信頼関係、絆 みたいなモノができている。

これが自分の近くの人から、日本中に広がったら、日本も変わんだろうな、
って書きながら思った。

少し余ったうどんをカレーにぶち込み、カレーうどんを作る。

まだ8時、人気はすっかり無い。
よしのり達に近くの避難所に案内してもらう事にした。

トラックに乗り込み後を付ける。
リョウワと麻衣子に片付けをまかし、割れた道を走った。

変わり果てた商店街みたいな所を進む、まだアスファルトは海水に浸かった状態。

止まった信号をふと見上げると、書いてあるのは 石巻駅前。
あの人口15万人の町の中心とはとても思えない。

さらに道は激しく割れ、着いた所は港町 ほたる とゆう所の葬儀場 光は一切な
く、目の前は墓がひっそりとたたずむ。

高校生くらいの若者が出迎えてくれて、げんようとあーちゃんと鍋を持ち、中に
入る。
大ちゃんはトラックの見張りだ。

東北に何回か来たが、一番衝撃を受けた場所だった。

ここは数日前まで遺体安置場だった。

一階は泥の上に畳やダンボールを並べて道が作ってある。
ろうそく2、3本のわずかな明かり、仮設トイレが二つ、足元が悪いため、兄ちゃ
んの照らすライトを頼りにゆっくり進む。

言い方は悪いが、下手なお化け屋敷よりも怖い。
三途の川 とゆう文字が頭に浮かんだ。

階段を上がれば、人の声がする、ろうそくのわずかな光の中に、10人くらいの人
が生活していた。

うつむくおっちゃん達。
ひたすら明るく振る舞うねえさん。

うまく言葉に出来ない。
最後に賞味期間の切れたドーナツを頂いた。

気持ちだと思う。


夜も深いので、急いで帰る。
トラックに乗り込み窓を開け、兄ちゃんに「ずっと笑ってろよ」 そう声をかけ
ると脳裏に焼き付くほどの笑顔をくれた。

憎いくらい星が綺麗な夜だった。

港町 ほたる 名前だけで素敵な町だったのが想像できる。

荷物を片付け、彼らと写真を撮り、名残を惜しむ。

帰りたくない、彼らも帰ろうとしない。

涙を見せた事の無いよしのりが泣いている。
ひろは笑顔を絶やさない。
何よりおっちゃんは 俺達より働いた。

また来る事を約束し車に乗った。

忙しい中挨拶に来てくれたやべっちにお礼を言って、
22時、石巻インター

松本へ


彼らもやっぱり身内ちを無くしていた。

地震当日、よしのりは首の高さまでの波の中スクーターで走り、流れてくる人を
掴んだり、炎に包まれた保育園に飛び込んだり、書けないほど壮絶な体験をして
いる。
おっちゃんも勿論。

だから彼らは、あんな笑顔が出来たんだろう。

本当の人の強さを感じた。

次の日の電話、
A2の人だとゆー事に気がつき、カントリーロードを聞いて、兄が泣いてる
ってひろが言う。

歌があって良かった。

そんなに話さなかったが、今一番大切な何かを分かち合ったような気がした。

そして何より一緒に行った仲間達は愛の戦士だったね。

いつも協力してくれてる皆の力は、町のハジまで、心の奥まで届いてるぜ。

なんかかなり染みた日だった。

tatsu

4月3日 第三便
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Posted by asian2 at 00:53